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写真UP!

この前の夏休みの写真をUP!
http://photos.yahoo.co.jp/kyo19851023
気に入ったやつだけ。
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一応、生還

昨日(9/10)の夜、飛行機で東京の実家に帰ってきた。
正面または左を向いて寝る癖があるので、昨夜は寝にくかった。

心配してくださった方々、ありがとうございました。

まあ、元気です。

首が鞭打ち気味で、それがきついかな。頭が不安定。

昨日は朝6時に検温で起こされ、朝8時に朝食。
さすが、病院飯。そこらの朝定より質素。足りねえ。足りなすぎ。
普通に歩けたので院内をぶらぶらした。辺境の病院だからか、年を召した人ばかり。僕のような若者はいない。見慣れない青年がヒョコヒョコ歩いているから、付き添いかと思われたくらいだった。
飽きたら、本読んだりして回診が始まるのを待った。

昨日は当直だったので、今日は別の外科の先生。
身体がでかくて、垂れた細い目。大仏みたいだった。
身体の調子を聞かれ、鏡二枚使って傷を見せてもらった。
縫われた傷はフランケンシュタインを思い出させた。
回診が終わり、「飯足りなくて、なんか食いたいんですが?」
と看護婦に言うと、食べるのは問題ないが外出はだめということで、
品揃えのない売店に通い詰め。食っては買い、食っては買いしてずーっと食っていた。当然昼飯も食べた。元々、若者用にLサイズがあるらしく、昼飯のカレーは大盛りになっていた。

15時頃、親父が来た。親父は朝5時に起きて、羽田→札幌→女満別→この病院、という道のりで駆けつけてくれた。
あわてもせず、なんかただ久し振りに会った感じだった。
退院手続き等々をすませ、警察へ。
一日ぶりの愛車は前輪が曲がって回らなくなっていた。
再び事情聴取。田舎の警察だなあ。さばさば感がなく、世話焼きオジサンの質問攻めのようだった。
自転車も積んで女満別空港へ。

車で走る北海道は爽快。スピード出して粗っぽいドライバー向きだろう。普通の道なのに高速の速さ。親父はそういうドライバーなので楽しそうだった。
僕は緊張感から解き放たれたためか、ボヤーっとした。

飛行機は20時25分発。東京へは22時15分着だが、だいぶ早く着いた。
羽田では母さんが迎えに来てくれていた。荷物が多いので、親父は電車。
街に溢れるネオンは僕に「帰郷した」という安心感を与えた。

まだ腹が減っていたので、途中で弁当を買って実家へ。
久し振りに深夜TVを見て夜更かし。
今後、一週間針を抜くまでは実家で静養。

今は倒れていたときに救急車を呼んでくださった方にお礼をいいたい気分。

大自然の美しさと怖さ

今日は朝から素晴らしい秋晴れ。でもさすがに疲れが残り、足が重い。一般の公園なので早々にテントを畳み、朝飯食ってダラダラ。動き出したのは10時半だった。

開陽台へ向けてスタート。通り掛かった中標津空港では伯爵まつりというジャガイモ祭をやっていた。そういや昨日やまやの主人が言ってたっけ。霧多布も今頃岬まつりで盛り上がっていることだろう。京都の9月なんて残暑と台風で祭気分ではない。でも自然溢れる北海道は収穫祭を各地でやるものなんだな。

空港を過ぎると碁盤の目のような農道へ。真っすぐで気持ちがいい。開陽台までは距離的には近いのだが、そんな眺めの良いところへすぐに行けるわけはないはず。案の定、直前に物凄い坂が。太陽が照り付け、汗が噴き出た。
なんとか登って開陽台へ。すげえ眺望。地平線が見えた。まさか日本で見れるなんて。感動。
中標津市街、阿寒の山々、知床連峰、そして昨日納沙布岬では見えなかった国後島も拝めた。
開陽台幸せの鐘ってのがあったから、知床峠を無事に越える幸せを願った。

開陽台のすぐ下はミルクロードと呼ばれる牧場地帯。アップダウンがあったが、まっすぐな道で気持ち良かった。

羅臼へ向けて快調に走った。でも決して急がずに。なぜなら知床峠があるからだ。
15時半羅臼へ。知床峠はやばいと霧多布で会ったチャリダーおじさんにもやまやの主人にもかなりびびらされていた。
昼飯食ってなかったのと渇きもあったので、まずは野菜ジュースと2リットルのスポドリ。さらに道の駅で買った鱈の一本昆布巻きで精をつけた。
羅臼からは国後島がよく見えた。対岸の岩肌も確認できたほどだった。それでも外国なんだね。

16時知床峠へ出発。始めから軽いギア。絶対急がなかった。交通量も少なく、登ることに集中できた。始めはきつめの坂があったものの、登るにつれて緩くなった。登り始めて30分、羅臼岳が。西日が当たり、山肌が輝き美しい。
その先もやばい坂はなくダラダラ登る。3合目くらいで思った。別にたいした峠ではない。緩い坂がダラダラ10数キロ続くだけだ、と。考えてみりゃ高低差700メートルを10数キロでだろ。緩いに決まっている。地図にはないきつい道や不意の岬連続越えの方がよほど怖い。どこで終わるかわかるんだから、試験みたいに十分な準備と覚悟ができる。楽なものだ。
4合目過ぎ。事件発生。道挟んだ茂みから2メートルはある熊が出て来た。
やっば!くま~!あ~!他に車もなく、僕一人。焦って漕いだ。
うわっ!こっち見た!走ったよ!
でもこっちに来る様子はない。道を横断しただけだった。
よかった~。隔てるものは5メートルの空気だけ。怖かった。
にしても、あの時熊は僕の方だけじゃなく、反対も見ていた。もしやホントは左右確認しただけ?そう思ったら、可愛く思えた。
道はまだまだ。霧雨が降り、僕の体温をどんどん奪っていく。今度は7合目付近。デカくて立派な角の鹿が道端に。思わず「獅子神様!」と呟いた。直前に僕を抜いた車も鹿に気付いていたようだった。野生動物を間近に楽しんだ。車が傍を通るのに平気で草を喰っていた。慣れてるんだな。僕はガードレールを挟んだ1メートルまで迫ったが、さすがに逃げられてしまった。
獅子神さまぁ~

登るにつれ寒さと霧が増していった。8合目過ぎ、また鹿が。今度はあっさり通り過ぎた。反対から峠を越えてきた者達から元気をもらい、峠を目指した。
18時、遂に峠越え。きつくないけど長かった~。にしても、霧が凄すぎ。視界0の霧ってこういうものなんだろう。それにめちゃ寒い。
記念写真撮って宇登呂へ向かって下山。「さみ~よ~!」と叫びながら、下った。宇登呂に近づき、霧も薄くなった。知床五湖への分岐を過ぎて、また事件。いや今度は事故。
なんと目の前に鹿。下りの猛スピードのまま突っ込んだ。
僕は転び、頭を打った。朦朧とする中、鹿の悲鳴が聞こえた。ごめんよ、鹿さん。
僕は立てなかった。少ししたら、車が来た。
「どうした!?」
僕「鹿とぶつかりました」
「頭切ってるぞ。すごい血だ。」
タオルを頂き、頭にあてがった。確かにヌルヌルしていた。
「とりあえず、歩道へ。立てる?」
なんとか立ち上がるがボーっとする。なんとか歩道へ行ったが、へたりこんでしまった。服は血だらけだった。
何人もの人が助けてくれ、救急車を呼んでくれた。
やがて救急車が来て病院へ向かった。身元を聞かれるなどしているうちはよかった。それが終わると意識が朦朧とし、眠気が。救命士に何度も起こされた。やがて吐き気も。でもこれは車酔い。あんなに揺れるんだもん。
30分もしただろうか。病院に着いた。ストレッチャーのまま院内へ。ボーッとしながらCTとレントゲンを受けた。
「歩ける?」
僕「ええ。なんとか。」靴も履かぬまま、処置室へ(追記:ここ土足厳禁の病院だった。)傷口と身体を拭いてもらい、やっと傷の処置。やっぱり縫うんだな。初めてだ。痛いんかなあ。
ホチキスみたいな道具が見え、ホチキスみたいな音が10回した。音がする度、ビクッとなる痛さ。終わるまでの1分ほどの時間が長かった。
「今日はどこに泊まるつもりだい?」
僕「宇登呂のキャンプ場です。でもこれじゃあ…。」
「じゃあ入院だな。」
入院なんて15年振りくらいだ。
すぐに着替えさせられた。母に連絡し、処置室を出たら、警察官の事情聴取。
最後に
「よし、他に何かある?」と聞かれ、
僕「何か食べたいです。」
夕飯まだで腹減っていたからそう言った。
「よし、あとでバッグとか持って行くから、ついでにその時に。」
僕「すみません。お願いします。」

僕は6人部屋で他に二人のおじいさんがいる部屋を提供された。看護婦さんにカルテ用の情報を聞かれ、僕は僕で寒いとか洗濯したいとかいろいろわがままを聞いてもらった。もう既に普通に歩けるようにはなっていた。

やがて親父から電話。
「今回はもう諦めろ。またやればいい。明日迎えに行く。」
従うしかなかった…。

やっと警察の人が来た。弁当持ちで。飯の前に再聴取。鹿とぶつかりゃ車でも大破するらしい。僕は軽くすんだほうだったそうだ。自転車はフロントフォークが曲がっているそうだ。もう帰るしかない。

警察も帰り、飯を食った。冷え切っていた体は徐徐に回復。今この日記を書いている。

この件で学部生の間での日本一周は不可能に近くなってしまった。宗谷までは行きたかったな。これも定めか。おとなしく勉強しろってお告げなのかな…。

我が旅の源は食に有り

夜通しの嵐も朝6時には止み、風が残るものの東の空に晴れ間が見え、無事やり過ごせたようだった。いやあ管理人さんに感謝感謝。

今日は行ける!
うずうずしていたのでさっそく出発準備。朝飯を食い、腹ごなしに霧多布岬までポタリング。
なんとも綺麗な岬。赤白縞の灯台も良かった。

「じゃあ僕はこれで。また会いましょう。」と挨拶し、一緒にいた4人と別れた。
彼らは明日9日の岬まつりに参加するためにこのキャンプ場に残った。元々そのつもりの人もいれば、明日お祭りならと流れで参加という人もいた。
いやあ、4人ともいい人達だったな。僕の知らないことを沢山教えてもらえた。わざわざ外出て見送ってくれもした。

岬は相変わらずの強風。晴れた明るい時にこの岬を見たのは初めて。芝がきれいに映えていて、ホントに綺麗。造ったみたいな地形で遠景もなかなか。
でも本当に綺麗なのは僕が暗い中通った道からの霧多布湿原の風景だったらしい。あの日は釧路湿原見ていたから、またこっちは見えなくていいやと思っていた。惜しいことしたなあ。

いざ根室へ。なんだかリアス式海岸みたいに、岬と街の繰り返しが5回は続き、始めの15キロでかなり消耗。以降道がよくなり、やっとスタートした僕のエンジンが火を噴いた。
12時ちょい過ぎには根室市街に入り、本州最東端の駅である東根室駅で写真撮った。このとき偶然電車が来た。ついてた~。
さて昼飯。根室ではピラフの上にミラノカツ、さらにデミグラスソ\ースのかかった「エスカロップ」が喫茶店の定番。実は午前中は「エスカロップ!エスカロップ!」と連呼しながら走っていた。「どりあん」て店が有名だが、豚丼の件もあるし、探すのも面倒だから根室駅前で見つけた「ニューモンブラン」という喫茶店に入った。
ランチタイムなのに客一組…。大丈夫なのかあ…?
エスカロップがあるか聞いたらやっぱりあった。さっそく注文。大盛でね。
店のお姉さん「エスカ大ワンで~す。」
やっぱりエスカと略すのか。
10分も経たぬ内に来た。トルコライスに近い。ピラフはうまかったがデミグラスがなあ…。レトルトみたい。正直あんましだった。デミグラスがうまけりゃ◎なんだが…。これに¥990出す価値はないな。
「これからどこへ?」と聞かれたので、「納沙布岬へ」と言うと、「15時くらいからは霧が出て何も見えなくなりますよ。」と言われ、14時近かったので急いで店を出た。

根室半島は根室市街から葉っぱのように伸びているため、道は太平洋側とオホーツク海側とある。さっきの店でオホーツク側の方が交通量が少ないと聞いたので、そっちを選んだ。根室半島は緑がとても綺麗。牧場がいくつもあって、牛が日なたぼっこしてるのが見られた。

岬の随分手前からはデカイタワーが見えた。やはり国境に近いから灯台もデカイのかな。
一時間で本土最東端の岬、納沙布岬へ。岬は「返せ!北方領土!」の看板で埋め尽くされていた。大事なことだなんだけど、少し興冷め。
霧は全くなくなく晴れていて、景色はよかった。歯舞諸島の貝殻島と水晶島が見えた。国後島はダメだった。きっと高波のせいだな。
岬で写真撮ってもらった人に、女の子で一人で自転車日本一周した子のことを聞かされた。しかも京都の人らしい。やばいな、その人は。
岬に小さな灯台が見えた。本物はこっちだった。この灯台は北海道の最初の灯台。標木を立てたのが始まりなんだって。さっきのデカイのは平和の塔というタワー。北方領土返還祈念で造られた。展望が良さそうだったが、やめといた。塔の前には巨大なアーチ型オブジェ。これもまた北方領土返還祈念。
北方館で北方領土返還の署名して、証明カードをもらった。署名数は既に4000万人以上。三人に一人か。それでも無理なんか…。
返還祈念の鐘をカーンと慣らして、また根室市街へ。

帰りは太平洋側を通ったが、向かい風が出て来てしまい、少々苦労。波しぶきで道にもやがかかっていた。さっきの店の人はこれを行っていたのかな。17時、根室市街帰還。よく見るとトイレとか道案内とかロシア語があった。見なかったけど意外とロシア人がいるのかもしれん。

ここで今夜は80キロ先の中標津まで行けるのではという考えが脳裏を過ぎった。中標津には「やまや」という有名な大盛メシ屋がある。21時までやっているから、平均時速20キロ以上で走れば間に合う。
飯が掛かると僕は強い。この旅最高の頑張りで走った。アップダウンがあり、内陸へ向かうため全体的には上り。きついのは承知だった。
19時、別海に着いた。これで半分。ここらは霧が出て、冷蔵庫に入れられたかのような寒さのところもあった。でも星がめっちゃ綺麗。北斗七星とかカシオペア座とかのメジャーどころがすぐにはわからなかった。
残り10キロ。20時15分くらいだったので、やまやに電話した。事情説明。「21時ギリギリですけどいいですか?」と聞いたら、「わかりました。待ってます。」との答え。いい人やな。

21時ちょい前にやまやへ。自分の食い意地に惚れ惚れした。早速、有名なやまやスペシャル(¥980)を注文。さすがに客は僕の他に一人だけ。僕が待つ間に帰っていった。
しばらくして…来ました。やまやスペシャル。わざわざ主人が持って来てくれた。大皿にチキンライス、ミートソ\ース、から揚げ、ハンバーグ、目玉焼き。でかいお子様ランチといったところ。いやあ、でもどれもうまかった。
仕事を終えた主人がビール片手に僕のところへ。どっから来た?どこへ行く?学生か?といういつもの会話。僕みたいに、「21時に間に合わないんですが、お願いします!」って電話してくるチャリダーがよくいるんだと。
なんでこんなん作ったか聞いたら、名物を作りたくて、と。雑誌にもよく紹介されて大成功だねぇ、ご主人。
根室のエスカを食べたと話したら、
「今は洋食屋は流行らないから、デミグラスを一から作る職人はそういない。缶詰に頼ってしまうことが多い。だから根室のエスカは味が落ちた。うちでもやってるが、客は根室のと全然違うと言ってくれる。」
と話してくれた。そっか、どーりで。
さっきのミートソ\ースみたいなデミグラスなんだろうから、ここのエスカならうまそうだ。

もう21時半を過ぎていたので、楽しい会話もおしまいにして、教えてもらった銭湯へ。
銭湯と言っても温泉ホテルの日帰り入浴。21時45分に入ったら、「日帰りは22時までですが、まあいいでしょう。」と。なんかみんな優しいな。
久しぶりにシャワーのある風呂に入った。気持ち良かったなあ。

銭湯の近くにキャンプ場があるものの、有料なので、近くの丸山公園で寝ることにした。
なんか近くを暴\走してるのがいたが、中には入ってこんだろうと思って、テント張った。

今日は200キロ近く走った。明日はやばいかも…。開陽台行くのに…。

台風には勝てん

朝から嵐。行くつもりはないが、チャリダーのおじさんにも行かないよう念を押された。

天気を見たら、台風は関東に上陸。北海道へ一直線。
昨日は特別に小屋の中で寝かせてもらったので、朝に出ていかなくてはならずとりあえず屋根のある炊事場へ。ついでに朝飯も。まだ若干行きたい気持ちがあり、しばらくボーッとしていた。
やがてやり過ごす決心がつき、テントを張ることに。強い風の中やっとの思いで、テントの中に入り、暇を潰した。
昼過ぎ、また昨日の小屋に入っていいことになり、他のキャンパーとともにテントも片付けて避難。屋内は風がなく安心できた。管理人さんが炭をおこしてくれたので、少し暖かくなった。
昼寝をしていると、さっきの炭で何かを焼く臭いがし目覚めた。サンマだった管理人さんが昨日もいた人たちにサンマをあげていたそうだ。僕も対象者らしく、いっぱいあるので分けてもらった。おやつに二匹。夕飯に一匹。一緒にいた人から、すき焼き味の豚汁を頂いた。立派なサンマ定食。マジでうまかった~。

天気は相変わらずの嵐。明日の昼には回復するようだ。早く出たいなあ。

昨日飲んだくれていた人も今日は随分おとなしい。中は平和そのもの。ゆっくり寝られそうだ。

雨の釧路、霧の霧多布

今朝はさすがに8時過ぎに目が覚めた。しかし寝るのが遅かったせいか少し疲れを感じた。

天気は曇り。時折晴れ間も。釧路市街へ向けて釧路湿原を走行。広々した湿原にはいくつか湖があり、展望台が点在している。走っていた国道に近いサルボ展望台へ。たった数百メートルの山道なのに、やたら面倒に感じた。
ロードレーサーは歩くとすぐ疲れると聞くが、同じようなことになっているようだ。
展望台からは湿原と10数キロ先の釧路市街が見えた。もっと釧路寄りの細岡展望台が有名だが結構な寄り道になって面倒だったのでやめた。
湿原だからなのか国道はわざわざ山の中を走っていた。
だんだん雨がちらついて来ていた。

昨晩寝るのが遅くなったのは、またコンビニで食い物情報を収集していたから。釧路は炉端焼きと勝手丼が有名だが、ザンギ(北海道で言う鳥のから揚げ)発祥の地でもあるらしい。で国道沿いの釧路手前にある「南蛮酊」がボリュームがあるそうだ。なんでそこで昼飯にした。
ザンタレ(¥840)を定食にして(+¥315)¥1155。高いな。
しかし、ザンタレはすごい量。チキンカツ3、4枚またはから揚げ20個くらいに相当。コストパフォーマンスはハイライトのジャンチキに相当。こういうのに飢えていたから、嬉しくなった。ザンギに醤油系のタレがかかっていて美味い。しかし、御飯とオカズのバランスが…。始めはザンギばかり食っていた。終盤、「よかったらご飯のおかわり言ってくださいね。」と店のオバチャンの声。おせぇよぉ。まあそれでも5切れくらいあったのでおかわりした。夕飯とる必要がなさそうだ。
他のも量が多いみたいだが、このザンダレが一番のようで。
満足して店を出た。

釧路市街には15時に着いた。ついに本降りになった。スーパーの横で、対雨装備に。すぐに霧多布へ行けばよかったのだが、オキシライド電池が欲しかったのでわざわざ電話帳で量販店を探してヤマダ電機へ。懐中電灯も買おうかと思ったが、店員の応対が悪すぎなのでやめて、電池だけに。これだから量販は。
他も店でも買い物をして、釧路出たのは17時。目指す霧多布岬キャンプ場は80キロ先。雨はザーザー。霧も若干。まあ遅くても23時には着くだろと思って走った。すぐに日が落ちてあたりは真っ暗。20時、霧多布湿原の西端へ。目的地までは40キロあった。街灯のない湿原をひたすら進んだ。霧がすごく、さすがに蒸れた。釧路同様結構アップダウンがあり、一日の終わりに走るには辛かった。
残り数キロなとこセイコーマートで道聞いたら、わざわざ店の外まで出て教えてくれて、「お気をつけて」とまで言ってくれた。何にも買っていないのに。いい人だった。

23時にやっと霧多布キャンプ場へ。高台の上にあるので風が強くて寒かった。
休憩舎で人の声がしたので入ってみたら、酒飲んで語らう4人(男3女1)。皆方々からのライダーとチャリダーだった。天気やばいから、管理人さんのご厚意でそこで寝ていいことになっているらしく、そうさせてもらうことにした。当然その4人に交じることにもなってしまったのだが。なんだか若いから人生経験が足りないとか、ボロクソ言われた。まあそういうのは何言ってもしょうがないから言いたいだけ言わしておいた。。でもこんな遅くまで走ったら危ないというのは最もだった。気をつけよう
。真面目な話しからエロ話まで話は尽きなかった。明日に響きそうだが、構わなかった。
台風のせいで連泊だろうし、こんなのも旅の目的だから。

三湖とも急ぎ足

二度寝したらなんと11時!
思わず跳び起きた。どうやら疲れが溜まっていたみたい。寝ていたところからは雄阿寒岳、雌阿寒岳、阿寒富士がよく見えた。朝飯食って出発は12時に。

目の前は足寄峠。天気は曇りで涼しい。山登りにはちょうどいい。1時間近く登って越えた。峠を下って少し行ったら、阿寒湖畔に。阿寒湖と言えば毬藻。湖面に浮いてるのかと思っていたけど、違った。底は藻だらけだった。近くの民芸品屋で聞いたら、毬藻は湖の北で育つもので、底に沈んでいる。水槽のは光合成して酸素出すせいで浮いてるんだと。そんで売ってるのはどこから採ってくるかというと、養殖とか樺太から。阿寒湖のは天然記念物だから博物館でのみ観賞可。よくそんな購買意欲のそそらないことを教えてくれたもんだ。阿寒湖の毬藻だよって売ってるわけじゃないし、癒し系アイテムとして売ってるみたいだから問題ないのかも。
阿寒湖畔は温泉街だからかそこら中に手湯・足湯が。せっかくなので足湯に。気温低いから、ほっか~としてぼんやりしてしまった。
あと北海道らしくアイヌ民芸品が軒を連ねていた。

次は45キロ先の摩周湖へ。また峠で大変だった。峠越えたら弟子屈(てしかが)の街がよく見えた。
峠を下ったら、今度は摩周湖への10キロの登り。さすがにやばかった。なんとか摩周湖の第一展望台へ。
さあて見えるか摩周湖ブルー。
ばっちりだった。霧一つない。高校の卒業旅行のときもばっちり見えた。14年前は霧で真っ白だった…かな。何度か来ているから感動はあまりないが自転車で登って見たという達成感があった。
摩周湖の湖面が拝めると婚期が遅れるなんていう噂がある。ほとんどの占いで晩婚型と言われると関係あるかもな。
第一の少し北には第三がある。第三には初めて行った。売店もトイレもないが、こっちのほうがいいんじゃないか?摩周岳と小島を正面に臨んで、振り返れば遠方に硫黄山越しの屈斜路湖。釧路平野。網走・美幌の山々。一度で二度以上おいしい。にしてもこのスケールのでかい景色。雄大と言う他なかった。
第二は知らん。どっかにあったんだろうが地図にもない。裏展望台があるそうだが、それとも違うらしい。そこでこんなストーリーを考えた。
元々展望台は3つあったが、写真写りとアクセスの良さから第一が優勢に。第三はさっき行った理由で生き残ったが、第二は他に勝る点がなくてなくなった。まあなんでもいいわな。
第三の後はいれは坂のような下り。川湯温泉を経て硫黄山へ。チオール臭がすげえ…。この臭い嗅ぐといつも恐山を思い出す。火山活動が続いているから、蒸気がモクモク出ていた。

もう日没だったので、屈斜路湖は遠方から臨んだだけになってしまった。寝坊しなけりゃなあ。
屈斜路湖畔にコタンという無料露天風呂があるらしいので向かった。実は最後に風呂入って十日目。一週間同じ格好だった。だから自然と足早に。でどんなとこかというと、マジで露天。岩風呂と脱衣所以外なんもない。柵もない。そんなんだから混浴。目の前には屈斜路湖。真っ暗で何も見えなかった。3人先客がいた。僕の後にも何人か来た。シャワーなんてないから、屈斜路湖に裸体を向けて体を洗った。一応2回洗った。あまりに気持ちいいから長居してしまった。
十日振りの風呂。最高だった。

屈斜路湖畔から釧路方面へ。道端に災害時に使う避難所みたいのがあったからその前の空き地で寝ることにした。

明日は釧路市街、霧多布へ。釧路って湿原以外に何があるんだ?炉端焼とか高い魚介はいいから、帯広の豚丼みたいなB級グルメが喰いたい。
ああまた天気悪いらしい。せっかく風呂入ったのに…。

太陽の下、でたらめについて考える

公共の場とはいえ屋内で寝たお陰で十分に体力が回復した。道の駅は9時開店なので、それまでに撤収。近くで腹ごしらえして帯広へ向けて出発。

昨日とは打って変わって爽やかな晴天。シャツの中を泳ぐ風が気持ち良かった。それに走るは十\勝平野。気持ちよさ倍増。これぞ北海道という景色。ひたすら続く畑。サイロ。赤い屋根。じゃがいも、もろこし、てんさい、牛。もろこしとてんさいはよく似ていて決定的な違いがわからんかった。実の有無と畑の感じで見分けた。
旧幸福駅なんてのもあった。廃線になった鉄道の駅。鉄っちゃん鉄子の結婚式は是非ここで。

昼に帯広着。豚丼が有名なんだって。初めて知った。肉食いたかったから、珍しくメシ屋へ。帯広駅前の「元祖豚丼のぱんちょう」が目当てだったが休み。近くのコンビニで情報収集。「ぱんちょう」のすぐ近くの昭和8年だかに創業の「はげ天」へ。なんか名前がひっかかったし、小綺麗な店なんで入りにくかった。豚丼(¥950)を注文すると5分もしないで来た。豚丼は単なる豚焼肉丼。ロースを醤油ベースのタレで焼いて御飯の上に盛ってあるだけ。うまいにはうまいが胡椒が少しきつい。それに値段の割に量が少ない気がした。僕だから少なく感じたのではない。僕のとなりのおじさん4人組も物足りなそうだった。メニューを見ると天ぷらが主。豚丼は看板じゃなさそうだった。
店を出たが、騙された気分と食い足りなさで二軒目へ向かった。駅からは少し行ったとこの地図に載っている「鴨川」。14時近かったから、僕一人。味噌味豚丼(¥980。普通のは¥880)を注文。なんか盛が違ったぞ。肉の厚さといい、ご飯といい。「さっき、はげ天に行ったんですけど食い足りなくて」と言ったら、店のオヤジ「ああ、あんなのウソウソ。金出して広告出してんの。ぱんちょうにしてもそうだよ。」
オヤジによれば、豚丼は戦後昭和21年、食料難だった頃、国内有数の豚の生産地だった十\勝で豚でなにか出来ないかというわけでこの「鴨川」含め4軒ほどで始まった。だから、昭和21年以前の創業はウソ\っぱち。じゃあ「はげ天」の昭和8年創業は何かというと、店自体の創業は確かにそうだが豚丼は数年前に始めたもので、元は禿げたオヤジがやってる天麩羅屋だったんだって。どおりで…。
さらにオヤジ、「一回きりの観光客相手だから、ああなる。他にも頼まなきゃ足りないだろ?一杯で腹が膨れないなんてはおかしいよ。まったく客が可哀相だ。」
う~ん、考えさせられたな。確かに京都もそうだ。るるぶやまっぷるとかは普通行かんだろって店が多いし、しょっちゅう同じ店ばかり紹介してる。帰ったら自分だけのまともな店探しでもしよっかな。この先も気をつけよ。
味噌味豚丼は喰いごたえあってうまかった。味噌ダレがいい。今や味噌と醤油両方あるのはここだけ。味噌味は難しくて他じゃやれないんだそうだ。カツ丼も人気ですぐ売切れになるらしい。ちなみにここの屋号は京都と全く関係なく鴨料理から始めたから。
とにかくここはまた行きたいと思える店になった。オヤジ節もなかなかだったし。こういうオヤジは結構\好き。
奮発した甲斐があった。

帯広から阿寒方面へ。午後も十勝平野を堪能。ホルスタインに会った。白黒だけじゃなく、白栗もいるもんなんだ。写真とろうとするとやはりこっち向いてくれる。ドロップハンドルの自転車が牛っぽいからかな。
牛舎の向こうでキャッチボールして遊ぶ、牧場主らしき親子が見えた。こんなとこで育った牧場系青少年は何を考えるんだろう。

さっきの豚丼にしてもそうだが、世の中でたらめばかりだな。何がどうとは言わんけど。自分だってでたらめだ。受け入れがたいことでもいつの間にか受け入れている。ああ嫌だなあ。汚れないと生きにくいなんて。
気持ちの良い十勝の中をこんな黒いことを考えながら走った。こんなことを考えるのは最近J・D・サリンジャーの「ライ麦畑でつかまえて」を読んだからだろう。唖でつんぼのフリをしてだれとも喋る必要がなく生きるなんてつもりはないけど。牧場系ならもっと爽やかに生きているだろうよ。

足寄(あしょろ)の道の駅で日没。走り足りないので阿寒湖方面へ。暗い道を鈴虫の鳴き声に包まれて走行。
途中、閉店後のスーパーの前で夕飯作った。そしたら車が止まってオッサンが降りてきた。怒られるのかと思ったが、カブトムシ探しに来ただけだった。街灯もろくにない山の中だから明るい自販機のとこによく来るらしい。オッサンが行った後だったがクワガタがいるのを見た。

飯食って10キロほど進んだところに目的のパーキングエリアがあった。阿寒湖までは20キロの地点。テント張って1時過ぎにやっと就寝。圏外だったからブログ更新できんかった。

明日は阿寒湖、摩周湖、屈斜路湖を見て釧路方面へ。

雨の中、オアシスを発見

親父が毎朝天気メールをしてくれる。ありがとう。
しかし、親父よ。僕も携帯で確認してるんよ。場合に寄っちゃ生死に関わるんだから。

朝起きたときはまだ雨降っていなかったが、出るころに降り出した。早速、昨日買ったジャケットとパンツを装備。
GORE-TEXという素材をご存知だろうか?撥水性と通気性を兼ね備えたすげえ生地。
実際、効果絶大。雨は通さないのは勿論、蒸れもしない。気持ち良さから、眠気が来てぼんやりしてしまったときもあった。
始めから買っておけば見附島での無意味な一日はなかったなあ。そんなわけで大雨でも快適走行。難点は手足。まあこれはしゃーないな。

静内って「北の零年」の舞台なんだ。見てないから知らんかった。
浦河まではサラブレッドロードの残り。雨だし馬いねえかなと思ったら、居た。草喰っていた。やっぱサラブレッドはかっこええ。
えりも市街に着いたのは15時。そこから襟裳岬へ10キロ強の道。ここがやばかった。風強いとは聞いていたがハンパなかった。10メートルは軽く越えていただろう。草も風のせいでその方向に倒れていた。きつくって岬まで1時間かかった。
岬近くだけは雨が止んでいた。日高山脈は海まで続いているのだが、海に落ち込むとこが襟裳岬となっている。だから、真後ろは日高山脈。目の前は崖とまだ点々と海から顔をだす山脈が 見える。こんな岬は初めてで感動した。
岬の売店で昆布ソフトなるものがあったので、食べてみたが、カップアイスでバニラの弱いミルクソフトに昆布粉末かけただけただけだった。詐欺だ。かなり後悔。味は完全に分離してた。ハーモニーも何もない。ただミルクソフトと昆布粉末。恵山の道の駅の昆布ソフトは普通のやつだった。そっちは食ってないから尚後悔。

岬から国道へ。帰るのも一苦労。やはり雨が降っていた。
サラブレッドロードの日高山脈を挟んだ反対側の国道は黄金道路と呼ばれている。何故か?
それは道つくるのに凄い金がかかっているから~。なんちゅうネーミングセンス…。
あんな断崖絶壁だから確かに金かかるでしょうな。半分くらいトンネルと覆道だった。

その黄金道路は広尾が終点。広尾から帯広へ。既に22時を回り、雨による体力消費と寒さでやばかった。大樹(たいき)の道の駅に一縷の望みをかけて走った。そしたらありましたよ、寝れる休憩所が。こういうのはあまりない。ついてた。暖房もついてて助かった。よかったよかった。

そういや、暗くなってから道脇にエゾシカとか動物の影を見た。もうそういう地域にいるんだな。

明日は帯広行って阿寒湖方面へ。せめて雨は止んでくれー。

牛馬の匂いがする

日高の静内に来た。今日は静内川の河原で寝る。さすがサラブレッドロード。鵡川からここまで牧場ばっかり。

朝。せっかく鳴り砂海岸にいるんだからと浜に下りてみたが、湿っていて何にも音がしなかった。残念。
昼に苫小牧へ。ホッキ貝が有名らしい。店じゃ高いから、スーパーで生食用を買って、まんま食べた。生食用とはいえ洗う必要があった。砂が残っていた。味はホタテや蛤とは違い、赤貝に近い気がした。自信ねぇ…
途中、縁石と正面衝突。フロントフォークがあ…。走るのは問題ないけど、これは痛い(経済的に)。
苫小牧ではモンベルで3万もするレインジャケットを買った。これで寒さと雨は平気なはず。ストーブのことを聞いたら、そんなに早く寿命はこないからメンテをしっかりするといいといわれた。

苫小牧を出て鵡川へ。しかし、道を間違えた。行きたかったのは235。行ってしまったのは234。岩見沢方面で合ってると勘違いし、15キロほど走ってしまった。太陽の方向が変だなと思いつつ進み、「千歳」の文字が現れて初めて間違いに気付いた。まあ数字で判断してるわけではなく、行き先なんで、岩見沢がどこにあるのかわかってなかった僕の地理知らずが悪い。修正のために、鵡川へ行く道道へ。小高い丘をいくつも越える、いかにも北海道な道。牧場ばかり。牛を撮ろうとしたら、牛がこっち見てシャッターチャンスくれた。そんな道を40キロ近く走って本コースへ戻った。ああ、25キロですむのを倍近くで走ってしまった。

日が暮れていたが、まだ進んだ。ここらから浦河まではサラブレッドロード呼ばれるらしく、ほんとにサラブレッド牧場ばかり。暗いから馬はいなかった。
ホントはもう静内のキャンプ場に行くつもりだったが、探すのが面倒になったので、静内川の河原を選んだ。橋の下なら雨避けれるし。

夕飯の準備にかかったのが21時過ぎ。普段なら1時間もかからんが、ストーブをメンテしてたら、時間かかった。一応使えるようにしたものの、パイプを変形させてしまったので、あまり良くない。あーあ終わったら買いなおしだ。結局飯食えたのは23時過ぎだった。

明日から数日雨。こう踏んだり蹴ったりだと、帰りたくなる。

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Author:砂糖
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大学院 D2 免疫学を専攻
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