大自然の美しさと怖さ
- Sun
- 21:28
- 旅行(2007夏)
今日は朝から素晴らしい秋晴れ。でもさすがに疲れが残り、足が重い。一般の公園なので早々にテントを畳み、朝飯食ってダラダラ。動き出したのは10時半だった。
開陽台へ向けてスタート。通り掛かった中標津空港では伯爵まつりというジャガイモ祭をやっていた。そういや昨日やまやの主人が言ってたっけ。霧多布も今頃岬まつりで盛り上がっていることだろう。京都の9月なんて残暑と台風で祭気分ではない。でも自然溢れる北海道は収穫祭を各地でやるものなんだな。
空港を過ぎると碁盤の目のような農道へ。真っすぐで気持ちがいい。開陽台までは距離的には近いのだが、そんな眺めの良いところへすぐに行けるわけはないはず。案の定、直前に物凄い坂が。太陽が照り付け、汗が噴き出た。
なんとか登って開陽台へ。すげえ眺望。地平線が見えた。まさか日本で見れるなんて。感動。
中標津市街、阿寒の山々、知床連峰、そして昨日納沙布岬では見えなかった国後島も拝めた。
開陽台幸せの鐘ってのがあったから、知床峠を無事に越える幸せを願った。
開陽台のすぐ下はミルクロードと呼ばれる牧場地帯。アップダウンがあったが、まっすぐな道で気持ち良かった。
羅臼へ向けて快調に走った。でも決して急がずに。なぜなら知床峠があるからだ。
15時半羅臼へ。知床峠はやばいと霧多布で会ったチャリダーおじさんにもやまやの主人にもかなりびびらされていた。
昼飯食ってなかったのと渇きもあったので、まずは野菜ジュースと2リットルのスポドリ。さらに道の駅で買った鱈の一本昆布巻きで精をつけた。
羅臼からは国後島がよく見えた。対岸の岩肌も確認できたほどだった。それでも外国なんだね。
16時知床峠へ出発。始めから軽いギア。絶対急がなかった。交通量も少なく、登ることに集中できた。始めはきつめの坂があったものの、登るにつれて緩くなった。登り始めて30分、羅臼岳が。西日が当たり、山肌が輝き美しい。
その先もやばい坂はなくダラダラ登る。3合目くらいで思った。別にたいした峠ではない。緩い坂がダラダラ10数キロ続くだけだ、と。考えてみりゃ高低差700メートルを10数キロでだろ。緩いに決まっている。地図にはないきつい道や不意の岬連続越えの方がよほど怖い。どこで終わるかわかるんだから、試験みたいに十分な準備と覚悟ができる。楽なものだ。
4合目過ぎ。事件発生。道挟んだ茂みから2メートルはある熊が出て来た。
やっば!くま~!あ~!他に車もなく、僕一人。焦って漕いだ。
うわっ!こっち見た!走ったよ!
でもこっちに来る様子はない。道を横断しただけだった。
よかった~。隔てるものは5メートルの空気だけ。怖かった。
にしても、あの時熊は僕の方だけじゃなく、反対も見ていた。もしやホントは左右確認しただけ?そう思ったら、可愛く思えた。
道はまだまだ。霧雨が降り、僕の体温をどんどん奪っていく。今度は7合目付近。デカくて立派な角の鹿が道端に。思わず「獅子神様!」と呟いた。直前に僕を抜いた車も鹿に気付いていたようだった。野生動物を間近に楽しんだ。車が傍を通るのに平気で草を喰っていた。慣れてるんだな。僕はガードレールを挟んだ1メートルまで迫ったが、さすがに逃げられてしまった。
獅子神さまぁ~
登るにつれ寒さと霧が増していった。8合目過ぎ、また鹿が。今度はあっさり通り過ぎた。反対から峠を越えてきた者達から元気をもらい、峠を目指した。
18時、遂に峠越え。きつくないけど長かった~。にしても、霧が凄すぎ。視界0の霧ってこういうものなんだろう。それにめちゃ寒い。
記念写真撮って宇登呂へ向かって下山。「さみ~よ~!」と叫びながら、下った。宇登呂に近づき、霧も薄くなった。知床五湖への分岐を過ぎて、また事件。いや今度は事故。
なんと目の前に鹿。下りの猛スピードのまま突っ込んだ。
僕は転び、頭を打った。朦朧とする中、鹿の悲鳴が聞こえた。ごめんよ、鹿さん。
僕は立てなかった。少ししたら、車が来た。
「どうした!?」
僕「鹿とぶつかりました」
「頭切ってるぞ。すごい血だ。」
タオルを頂き、頭にあてがった。確かにヌルヌルしていた。
「とりあえず、歩道へ。立てる?」
なんとか立ち上がるがボーっとする。なんとか歩道へ行ったが、へたりこんでしまった。服は血だらけだった。
何人もの人が助けてくれ、救急車を呼んでくれた。
やがて救急車が来て病院へ向かった。身元を聞かれるなどしているうちはよかった。それが終わると意識が朦朧とし、眠気が。救命士に何度も起こされた。やがて吐き気も。でもこれは車酔い。あんなに揺れるんだもん。
30分もしただろうか。病院に着いた。ストレッチャーのまま院内へ。ボーッとしながらCTとレントゲンを受けた。
「歩ける?」
僕「ええ。なんとか。」靴も履かぬまま、処置室へ(追記:ここ土足厳禁の病院だった。)傷口と身体を拭いてもらい、やっと傷の処置。やっぱり縫うんだな。初めてだ。痛いんかなあ。
ホチキスみたいな道具が見え、ホチキスみたいな音が10回した。音がする度、ビクッとなる痛さ。終わるまでの1分ほどの時間が長かった。
「今日はどこに泊まるつもりだい?」
僕「宇登呂のキャンプ場です。でもこれじゃあ…。」
「じゃあ入院だな。」
入院なんて15年振りくらいだ。
すぐに着替えさせられた。母に連絡し、処置室を出たら、警察官の事情聴取。
最後に
「よし、他に何かある?」と聞かれ、
僕「何か食べたいです。」
夕飯まだで腹減っていたからそう言った。
「よし、あとでバッグとか持って行くから、ついでにその時に。」
僕「すみません。お願いします。」
僕は6人部屋で他に二人のおじいさんがいる部屋を提供された。看護婦さんにカルテ用の情報を聞かれ、僕は僕で寒いとか洗濯したいとかいろいろわがままを聞いてもらった。もう既に普通に歩けるようにはなっていた。
やがて親父から電話。
「今回はもう諦めろ。またやればいい。明日迎えに行く。」
従うしかなかった…。
やっと警察の人が来た。弁当持ちで。飯の前に再聴取。鹿とぶつかりゃ車でも大破するらしい。僕は軽くすんだほうだったそうだ。自転車はフロントフォークが曲がっているそうだ。もう帰るしかない。
警察も帰り、飯を食った。冷え切っていた体は徐徐に回復。今この日記を書いている。
この件で学部生の間での日本一周は不可能に近くなってしまった。宗谷までは行きたかったな。これも定めか。おとなしく勉強しろってお告げなのかな…。
開陽台へ向けてスタート。通り掛かった中標津空港では伯爵まつりというジャガイモ祭をやっていた。そういや昨日やまやの主人が言ってたっけ。霧多布も今頃岬まつりで盛り上がっていることだろう。京都の9月なんて残暑と台風で祭気分ではない。でも自然溢れる北海道は収穫祭を各地でやるものなんだな。
空港を過ぎると碁盤の目のような農道へ。真っすぐで気持ちがいい。開陽台までは距離的には近いのだが、そんな眺めの良いところへすぐに行けるわけはないはず。案の定、直前に物凄い坂が。太陽が照り付け、汗が噴き出た。
なんとか登って開陽台へ。すげえ眺望。地平線が見えた。まさか日本で見れるなんて。感動。
中標津市街、阿寒の山々、知床連峰、そして昨日納沙布岬では見えなかった国後島も拝めた。
開陽台幸せの鐘ってのがあったから、知床峠を無事に越える幸せを願った。
開陽台のすぐ下はミルクロードと呼ばれる牧場地帯。アップダウンがあったが、まっすぐな道で気持ち良かった。
羅臼へ向けて快調に走った。でも決して急がずに。なぜなら知床峠があるからだ。
15時半羅臼へ。知床峠はやばいと霧多布で会ったチャリダーおじさんにもやまやの主人にもかなりびびらされていた。
昼飯食ってなかったのと渇きもあったので、まずは野菜ジュースと2リットルのスポドリ。さらに道の駅で買った鱈の一本昆布巻きで精をつけた。
羅臼からは国後島がよく見えた。対岸の岩肌も確認できたほどだった。それでも外国なんだね。
16時知床峠へ出発。始めから軽いギア。絶対急がなかった。交通量も少なく、登ることに集中できた。始めはきつめの坂があったものの、登るにつれて緩くなった。登り始めて30分、羅臼岳が。西日が当たり、山肌が輝き美しい。
その先もやばい坂はなくダラダラ登る。3合目くらいで思った。別にたいした峠ではない。緩い坂がダラダラ10数キロ続くだけだ、と。考えてみりゃ高低差700メートルを10数キロでだろ。緩いに決まっている。地図にはないきつい道や不意の岬連続越えの方がよほど怖い。どこで終わるかわかるんだから、試験みたいに十分な準備と覚悟ができる。楽なものだ。
4合目過ぎ。事件発生。道挟んだ茂みから2メートルはある熊が出て来た。
やっば!くま~!あ~!他に車もなく、僕一人。焦って漕いだ。
うわっ!こっち見た!走ったよ!
でもこっちに来る様子はない。道を横断しただけだった。
よかった~。隔てるものは5メートルの空気だけ。怖かった。
にしても、あの時熊は僕の方だけじゃなく、反対も見ていた。もしやホントは左右確認しただけ?そう思ったら、可愛く思えた。
道はまだまだ。霧雨が降り、僕の体温をどんどん奪っていく。今度は7合目付近。デカくて立派な角の鹿が道端に。思わず「獅子神様!」と呟いた。直前に僕を抜いた車も鹿に気付いていたようだった。野生動物を間近に楽しんだ。車が傍を通るのに平気で草を喰っていた。慣れてるんだな。僕はガードレールを挟んだ1メートルまで迫ったが、さすがに逃げられてしまった。
獅子神さまぁ~
登るにつれ寒さと霧が増していった。8合目過ぎ、また鹿が。今度はあっさり通り過ぎた。反対から峠を越えてきた者達から元気をもらい、峠を目指した。
18時、遂に峠越え。きつくないけど長かった~。にしても、霧が凄すぎ。視界0の霧ってこういうものなんだろう。それにめちゃ寒い。
記念写真撮って宇登呂へ向かって下山。「さみ~よ~!」と叫びながら、下った。宇登呂に近づき、霧も薄くなった。知床五湖への分岐を過ぎて、また事件。いや今度は事故。
なんと目の前に鹿。下りの猛スピードのまま突っ込んだ。
僕は転び、頭を打った。朦朧とする中、鹿の悲鳴が聞こえた。ごめんよ、鹿さん。
僕は立てなかった。少ししたら、車が来た。
「どうした!?」
僕「鹿とぶつかりました」
「頭切ってるぞ。すごい血だ。」
タオルを頂き、頭にあてがった。確かにヌルヌルしていた。
「とりあえず、歩道へ。立てる?」
なんとか立ち上がるがボーっとする。なんとか歩道へ行ったが、へたりこんでしまった。服は血だらけだった。
何人もの人が助けてくれ、救急車を呼んでくれた。
やがて救急車が来て病院へ向かった。身元を聞かれるなどしているうちはよかった。それが終わると意識が朦朧とし、眠気が。救命士に何度も起こされた。やがて吐き気も。でもこれは車酔い。あんなに揺れるんだもん。
30分もしただろうか。病院に着いた。ストレッチャーのまま院内へ。ボーッとしながらCTとレントゲンを受けた。
「歩ける?」
僕「ええ。なんとか。」靴も履かぬまま、処置室へ(追記:ここ土足厳禁の病院だった。)傷口と身体を拭いてもらい、やっと傷の処置。やっぱり縫うんだな。初めてだ。痛いんかなあ。
ホチキスみたいな道具が見え、ホチキスみたいな音が10回した。音がする度、ビクッとなる痛さ。終わるまでの1分ほどの時間が長かった。
「今日はどこに泊まるつもりだい?」
僕「宇登呂のキャンプ場です。でもこれじゃあ…。」
「じゃあ入院だな。」
入院なんて15年振りくらいだ。
すぐに着替えさせられた。母に連絡し、処置室を出たら、警察官の事情聴取。
最後に
「よし、他に何かある?」と聞かれ、
僕「何か食べたいです。」
夕飯まだで腹減っていたからそう言った。
「よし、あとでバッグとか持って行くから、ついでにその時に。」
僕「すみません。お願いします。」
僕は6人部屋で他に二人のおじいさんがいる部屋を提供された。看護婦さんにカルテ用の情報を聞かれ、僕は僕で寒いとか洗濯したいとかいろいろわがままを聞いてもらった。もう既に普通に歩けるようにはなっていた。
やがて親父から電話。
「今回はもう諦めろ。またやればいい。明日迎えに行く。」
従うしかなかった…。
やっと警察の人が来た。弁当持ちで。飯の前に再聴取。鹿とぶつかりゃ車でも大破するらしい。僕は軽くすんだほうだったそうだ。自転車はフロントフォークが曲がっているそうだ。もう帰るしかない。
警察も帰り、飯を食った。冷え切っていた体は徐徐に回復。今この日記を書いている。
この件で学部生の間での日本一周は不可能に近くなってしまった。宗谷までは行きたかったな。これも定めか。おとなしく勉強しろってお告げなのかな…。
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